最近は専ら、生活の佇まいということを考えている。
言い方が難しい。
生活の、という生活は、私の、をもちろん含むけれどそこには、私以外の、も含まれるとき、生活って、広い。
私と社会は、自分では選びようがなかった身体的な性による疑問とは切っても切り離せないのは確かだけれど、自分の「生活」の範囲を超えた社会は想像を越えすぎてしまっていけない。
想像を越えるような大スペクタクル、大爆発、世紀の大発見、そんなものを人はエンターテイメントとして享受するであろうと幾ら考えても、それをさも本当のように言うことはできない。
私は生活の佇まいを考えたい。
どうぞご自由に。と、言われちゃうかもね。
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